昭和50年01月15日 朝の御理解



 御理解 第81節
 「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ」

 信心の一番眼目であると思われる、安心のおかげを受けると言う事。まぁ信心は言うならば、そう言う安心のおかげの、本当の意味においての安心のおかげの頂けれる、まぁ入口に立ったのが、私は入信だと思う。信心に入ると言う事です。言うならば極楽の入口まで来たと言う事です。ね。色々此処の所は解らなければならないのですが。此れだけの事が出来、此れだけの事が解ったからもう安心だというのが、私は十里の坂を九里半登ったというのではなかろうかと思うですね。
 だから言うならば信心は、まぁ一生が油断は出来んと言う事であります。向こうへ下りたらと言う事は、本当は色々に頂ける訳ですけれども私共がね。この世からあの世へ行って、初めて解るんだと。ですから中途半端な安心ではいけないと言う事です。矢張り一つの事でも極めて参りますと、達観するという境地があります。ね。まぁ言うならば人間は、もう成る様にしかならんのだからと。幾らバタバタしてもと、もう落ち着き払って言わばおる人があります。
 それをまぁ悟り済まして様な人だと言うわけです。もう自分は何もかにも知っている。そして人間は結局は、成る様にしかならんのだからと、まぁ言う様な考え方ですね。私はそれも素晴らしいですけれども、それが私は九里半、十里の坂を九里半登った様な物ではなかろうかと思うです。ね。そのもう一つ向こうにある安心というか、達観の境地と言う物を目指さなければいけないと思うんです。私北京に居ります頃所謂、中国語の勉強を致します。その近所に北京大学の先生が居りました。
 シナの人だから中国人です。それでまぁその、日本語と中国語の交換勉強をするわけです。そういうある時にあの大坪先生と言うわけですね。あのセンシャムというんです、やっぱり先生でなくても誰々さんという意味でしょう。大坪先生この本をあの読んでみなさいというて、あの持って来てくれました。それを、私は習いながら日本語に訳して、自分毛筆でずーっと書きました。内容が素晴らしいと思ったから。確かに持って帰ったんですけれども、無くしてしまっておるんです。惜しい事をしました。
 誰々さんに貸してると思うんだけど、もう何十年もなった事で御座いますからね。ですから定かではないですけれども、私はその中からね大事な、覚えておる所だけを、まぁ聞いて頂きたいと思うんです。此れは実在の人物です。袁了凡という人です。太閤秀吉があの朝鮮征伐を致しました時に、中国シナですね当時の。から朝鮮に援軍を出しております。そん時の総帥で桂城まで来ておる実在の人物です。
 もう実に文武両道に優れた人だったらしいです。お母さんと二人暮らしある時に皆さんもご承知の様に、中国と言う所は非常に易学が盛んな所であります。有名な易者が参りましてね。その袁了凡の一生を占ってくれたんです。何歳にはまぁ解り易く申しますと、何処何処の小学校に入って、何処何処の中学校に入る。その頃は家を移転して、何処どこの高校に行って次には、最高府と言われる、何処何処の大学に出て、そして何処どこに就職をして、時の初任給が幾らだと言う様な事まで教えてくれたんですね。
 結婚をするそして、けれども子供に恵まれない。何十何歳で死ぬんだと言う訳です。所がです、その易学の大家という人が言うた通りになって行くんですね。もうそれこそ日にちも、例えば給料なら給料が上がって行く具合まで、その言うた通りになる訳です。で大変、まぁ勉強もし成功を致しまして、まっいわゆる人間はもうとにかく、幾らバタバタしても成る様にしかならぬのだと達観した訳です。ね。
 だから折角生きるなら、人の例えば出世をするのに、人をいじめたり言うなら、人の茶碗でも叩き落してからでも、この自分が成功せんならんと言った様な、さもしい心は起こすまい。成る様にしかならんのだからと思った訳です。だからもう実に人格も高潔で立派な、所謂生き方をしたのです。もう袁了凡が五十も過ぎた、ある日何々山という山で、大変有名な所謂宗教家のお坊さんが、その事を聞いて一遍会って話をして見たいと言う所から、とにかくシナ事ですからね話が大きいです。
 三日三晩言うならもう、あの寝らずに話をしたち言うんです。もう時代の話政治の話、宗教の話し、ね。芸術の話と言う様にもうありとあらゆるその話を、三日三晩も続けて致しましたけれども、ね。一つもその心の中にかげりが見えない。坊さんもほとほと感心したんです。ね。そしてこうしてもう三日三晩も、まぁ意気投合して話を続けて、その間に一つも貴方の心の中に、そのかげりと言うものを感じなかったが、何か特別な修養法でもあるのかと言うて尋ねた。
 所が袁了凡答えて曰く人間はね成る様にしかならんのだから、ね。例えば貴方とこうやって話をしておって仕事の事を考えたり、もうとにかく言うのではなくて、ね。御道の信心で言うなら、我情我欲を言うた所で始まらんのだと、自分は若い時のこうこう言う事で、易学の大家に見てもらって、何時はこうなるあぁなる。そして死ぬる日までこうやって教えて貰ったが、恐らくはその日に自分は死ぬ事になるだろう。
 結婚はしたけれども子供には恵まれないけれども、仕事の上で此の様に恵まれて、その易者が言っておる通りの事に成って来た。それ以来と言う物は自分はもう、バタバタすると言う事をしない。人間の我情我欲を言わない事にしたという答えをしたと言うのです。所がです、今まで本当に感心しておったその坊さんがね。それこそからからと笑いだした。はぁ惜しい事をした。
 三日三晩も此のこんな詰らん男と話して、素晴らしい偉いと思うて話しておったが、あんたがそんなに詰らん男であると言う事を聞いて、三日間が惜しかったと言う意味の事を言うたと言うのです。それはどう言う訳かと。いや貴方の話を聞いておるとね。なるほど何月何日に、何処の学校に入って就職して、給料が幾らでもう何からかにまでその、その通りにまぁ成って来たと言うが、そんならね。
 あぁたがま其処の所は定かでないですが、まぁ申しますならば六十なら六十で死ぬると言う事になっとるが、もうそれで良いのかとこう言った。そしてまぁだ五十位で言うなら子供も無くても、後継ぎも無くてもそれで良いのかと。そりゃもう仕方がない事じゃないでしょうかと。ね。私にはもう子供はのさらんのだと。ね。授けられないのだと。ね。そして幾つ何歳になって死ぬると言う事もです、ね。そう言う運命にもうなってるんだから、此れは幾らどうしても仕方のない事ではないかと又その話ました。ね。
 だから貴方の言わば達観しておると言う事で、貴方がそれで良かれば良いけれども。私はそれからね、言うならば子供に恵まれる事も、又は六十が七十八十まででも生きられる、私は道を知っておると。と言うてそのお坊さんが話したと。そして所謂信仰の道を説いた訳です。ね。それこそ初めて聞くその信心の話にです。もうびっくりしましてね。それから熱心に信心をする様になり、五十幾つで子供にも恵まれそして八十何歳までも、長生きのまぁおかげを頂いたと言う話なんです。
 ですから言うならば成る様にしかならんのだと。此れは人間のもう運命なのだからと。ね。そして其処に一つのまぁ安心というか、ね。達観を致します。信心の無い人達の中には随分それがあるです。まぁ色々勉強してです。ね。とにかく言うなら人間の道も、修養の道も体得して修養もして、ね。そして先はもう所謂成る様にしかならんのだと言う生き方。信心はねそう言う定まっておる運命でありましょうけれども、其処の所を切り開いて行くと言う所にありますが。
 私は今日はこの九里半登って安心ではなくて、十里の坂を登り切って向こうへ下りた境地を、お互い目指さなければいけないと言う事を、まぁ分って貰いたいと思うのです。ね。そうしてですま御道の信心で申しますなら、ね。ならん所を成る様に助からん所を助かる様に、死ぬる所を又長生きのおかげを頂く様に、ね。言うならば御取次ぎを頂いてそしてそこで自分の思う酔うには、例えばならなかったと致しましてもです。そこに初めて此れが神様の御深慮だ、ご都合だと頂かせて頂くと言う事が安心なのです。ね。
 御取次ぎを頂いてお願いをして、ね。人間としての言うならいっぱしの願いを持っておる。その願いをです、ね。信心によると言う事です。そしてそれから先がです、ね。もう此れは人間の世界ではない。言うなら神様の世界であり、ね。神様の圏内である。ね。もうそれから先は神様任せ、その神様負かせと言う心が生まれた時に出来て来る所の安心。ね。それが私は本当の意味においての大安心だ思います。ね。
 ですから私共はですね。もう此れで良いと言う事はない。一生です矢張り色々な願いに立たせて貰い。その願いが愈々ね。成就する又は成就しない。けれどもお願いをしてお取次ぎを頂いての事であるからと、そこの出て来た所の答えをそのまま安心で受ける、喜びで受けると言うそこにです、私は本当の意味においての達観というのがあると思うのです。例えば家を建てるのに、基礎作りというのを致します。
 その基礎作りをしたのに、ね。家を建てない、こんなに馬鹿げた話はないですね。言うならまぁ随分地形だけは付いた。ね。言うならば目に見えない所の物ですね、基礎と言う物は。それをしっかりさせて頂いておりながらです。その上に家を建てる事をしなかったら、こんな馬鹿らしい話はありません。信心もです言うならばね、九里半登ってそこで安心してです、ね。もう此れで良い。もう信心の事も一通り解った。唯是でおかげ頂いて行きよりさえすりゃ良いと言う事ではね。
 こんなに惜しい事はないです。ね。後もう一押しの信心を解らせて頂いた時に、初めてその基礎の上に家が建てられたと、言う事になるのじゃないでしょうかね。そんな人が沢山あります。一生懸命信心をする、ね。そしてちょっと自分の思う様に成らない事があると、信心を止めてしまう。ね。その基礎作りを神様がさせて下さった。その基礎の所はお互いが、目には見えない解らない所ですから、もう信心したばってんおかげ頂ききらじゃったと言うて、止める用なのは基礎を作って。
 私は家を建てない様な物だと思うのです。折角信心をさせて頂くのですから、本当の意味においての、言うならば極楽を目指さなければいけません。勿論此の世でも極楽なら、ね。その心をそのままあの世に持って行けれると言う物で無からなければなりません。ね。唯、目先目先の事が成就したと言う様なおかげの程度で、信心がもし止められるとするなら、それは地形をして家を建てない様なもんです。ね。
 愈々信心の、ね。所謂奥義へ奥義へと進んで行くと言う事。そう言う思いをしておきませんとです。ね。大きな坂に掛かりますともうそこで、へこたれたりそれで又は安心したりして、ね。向こうへ一つ山を登って、登り降りて向こうへ下りた時に、初めておかげを頂くと言う事になるのです。今日は北野の堤志免吉つぁんの所の、宅祭りが御座います。長男の所謂一人息子の清さんが亡くなられました。
 しかも朝の御祈念に、此処へ参って来ておって、私がこうやって御理解をしておる、御理解を頂き頂き亡くなったんですからね。手帳を出してずうっと、始めの間は書いとったんです手帳に、半ばまで。そしてそのまま打ち着いたまま、私が御理解を頂き終わった時にはもう、亡くなっておられた。ね。はぁ信心しよってから、どうしてこげなこつがあるじゃろか。しかもお参りしとってからお広前で。
 まぁと言う風な考え方見方もあります。けれどもとにかく有難い事ではある。四人か五人か、やっぱり大きな自動車でしたから、それに乗せて自分が運転して来ておる。是がもし途中で運転しながらどん亡くなっとりなさるなら、大事の出来とるとじゃ。けどもまぁ此処に着かれてだらら、まぁそこも有難い。だけではないそれこそ、親先生の御理解を、とにかく有難い勿体ないで頂きながら亡くなるなんて、こんな素晴らしいお国替えがあろうかという頂き方もある。ね。又はね。
 お神様にお参りをしとって、しかもね。お神様の目の前で、言うならばお広前で亡くなるなんて、神様もいい加減な人じゃあると。神様をそれこそ御座るやら、御座らんやら分からん。もうそげなこつじゃけん、私だん信心なしゅうごつなかと言う風にです。信心のない人は言うかも知れません。もう頂き方は様々に頂けれるのです。ね。ですから例えば信心をしておってもです。そう言う事がありますけれども、ね。まその後においての、ま御霊様の働きと言うか。
 そらもう素晴らしいおかげを頂いておりますが、ね。そう言う事があったからというて、もし信心を緩めたり止めたりしたら、ね。言わば本当のおかげになって行きません。私は今日は、堤さん所の宅祭りの事を頂いておりましたら、今聞いて頂ました、その袁了凡のシナのお話の事を頂いたんです。ですから今日は堤さんに、此処ん所を一つ解って、あの貰おうと思いましたが、皆さんにそれをこの八十一節というのがです。
 八十一節というのは言うならばもう、愈々広がりに広がって行く、第一歩と言う所を言うならば、極楽の入口に立ったという意味に、今日は聞いて頂ました。九里半登ってそしてその、十里の坂をそこで留めておったらです。いや向こうへ降りなければ本当の安心ではない。ね。後に例えばほんなら、堤さんのお宅で言うならば、後に残ったものがです。そこを乗越えておかげを頂いて行く所にです。ね。
 言うならもうあの様な素晴らしい、信心をしておりましたんですからもう見事に言うなら何かね。基礎作りが出来ておったのですから。是からの信心が本当に出来る所からです。成程信心しとればあぁ言うおかげも受けられるかと言う様なおかげになって行くはずです。此れは例えば一番一つの手本の様に思うて頂けば、私の事が一番であります言うならあれ程の、とにかく人の真似の出来んごとある信心し御座って、一家中で挙げて信心しよりなさってから、どうしてあんなに貧乏しなさらんならんじゃろかと。
 どうして次々と、あぁいう不幸な事が続くであろうかと。と、言われる様な時代が御座いましたけれども、ね。そこを頂越えた所に今日の合楽があります。ですから信心しておってもそれこそ、ね。雨も降らなきゃ風も吹かんと言う事は、決してありません。けれどもその時点をです、大事にして行くと言う所が、私は九里半から十里の峠を越す勢いがなからなければ、出来る事ではない。その向こうにです。だからもうその向こうにあるのが、難はみかげであります。ね。
 そこに初めて例えば、なら堤清さんの御霊も、言うならば浮かばれるというか、喜ぶというか、ね。自分の言うなら若死にと言う物がです。無駄死にではなかったと言う事になるのです。此れをもし九里半で止めて信心を緩めたり、その家に例えば基礎作りをしたのに、その上に家を建てなかったら、ね。それこそ御霊様の、私は嘆きであると思います。ね。私共がややもするとです、信心をしておりましてもね。
 大体もう親先生の言わっしゃる事だけはもう、解ったと。もうとにかく成り行きを大事にさえしていきゃ良か。とにかく難をみかげにして行きさえすりゃ良かとか。もう早解りをしてです、本当の意味においての安心ではない、私は心の状態をです。その今日は袁了凡の易学を見て貰ってとにかく、成る様にしかならんのだからと達観した、それに良く似た様な物であると思います。ね。
 そのお坊さんに会ってからそして又心境が一変して、そして本当に縋れる道があるなら、本当に開けないはずの物が、開ける道がもしあるとするならばと心を変えて縋って行った所に子供にも恵まれた。そして八十何歳までの六十までという運命のものが、二十年間も生き延びる事が出来た。ね。そう言うおかげを頂かれるのが信心である。そう言う例えばです。おかげが頂けるだけではなくて、そういう人間として願わなければおられない。痛ければ痛い痒ければ痒いで、撫でても貰いたい、掻いても貰いたい。
 そこを願って掻いて貰うておかげを頂く。けれども願うけれども掻いては貰われん、さすっては貰われない時にです。悟らせて頂くのが、私は信心だと思うです。お願いをしてからの事だから、お取次ぎを頂いての事だからと、例えば痛い痒いでもならじっと辛抱する所から辛抱力というか、辛抱の徳を身に受けるのです。私は金光教の信心はそういう生のね。もう生きた人間の宗教だと言う事を、改めて今日は思います。ね。
 信心によって心の中に喜びを頂く。心の中に今まで知らなかった境地が開けて来る、ね。だからある程度の心が開けてです。それでいわば腰掛けて折ると言う様な信心ではです。私はあの世へ持って行けるというか、言うならば極楽の入口に立ちながら、極楽にいけずに基礎を作りながら、家を建てない様な物であると言う風に思うのです。ね。此れは信心の段階を申しますなら、例えば今申しました様な事がですね。
 小学校的な程度で頂、又は中学、高校、大学生が頂かせて頂く。だからどういう時点でも今日の話は分かって頂く話なんです。ね。小学生は、小学生なりにです。はぁ此処がもうひと辛抱、峠を越さんならん所だろうと。それは峠は違います。山の高さは違います、ね。けどもそういう繰り返しをさせて頂ながらです。それこそ波状形に段々高い山へ登って、下りていけれる。そこから本当の意味においての大安心を目指させて貰う。そう言うおかげを頂きたい。確かに私共が、ね。
 人間と言う物はもう一つ所が崩れますとね。後はもうがたがた崩れるもんです。今日朝三時半に此処へ出てまいります。もうこの頃は私は五分しか待ちません。ね。又だから子供達が二人、直子と幹三郎が着いて来る訳ですけれども、今日はもう直子だけです。それで私が後の十分で四時になると言う時に、一遍見て来てまぁ起こして来てくれと言うてから、起こしにやりました。
 何故かと言うともう一遍御無礼を致しますとね。一遍例えば今まで続いて来た修行がです。一つ崩しますとね、後はもうがたがたになる恐れがあるからです。ね。それからもう時間ギリギリに間に合って、今日は出て来ておりましたがですね。私共の、言うならばそう言う、もう直ぐそこに峠を見ながらです。九里半の所で挫折するよ雨名事があっては、言うならばまぁ普通で言う達観は開けましてもです。
 本当の大安心は開けません。ね。その向こうに、私はあるのが金光教の信心だと思うです。もう此処まで頂いたから良いと言うのじゃなくてです。私共は願わなければおられん。縋らなければおられない事は、一生ある事に違いありません。で、そういう願いをさせて頂きながら、それでいて願いが成就しないその時点でです。お取次ぎを頂いての事であるからと、生まれて来る安心。それが私は本当の安心だと思います。
   どうぞ。